2010年06月20日 サイクリング

 部活・青春時代の話題続きです。

私の当時の宝物と云えば8段変速ドロップハンドルのサイクリング車でした。

毎日のように自転車を調整・磨き、オイルをさしては道路地図とにらめっこ。週末が好天ならば遠乗りをすることも多かった。 JCAというサイクリングの団体にも属してはいましたが、マイペースで走ることが好きな私にとってほとんどは単独走行でした。

まだ学校も土曜日は半ドン(昼まで)で、帰宅後少しでも時間があれば17〜8kmの県道(現国道297)を練習として走ったものです。

なぜ県道かと云えば、当時まだ所々で道路は舗装されておらず、近所の道路の中でも八幡宿までの区間が一番舗装率が高かったためです。


現在でも日中 車で25分ほどかかるその距離を30分を目標に走ったものです。

もちろん山倉の登り坂でもトップギアのまま登るという体力でしたが・・・。



 そして日曜には日帰りで国道16号や127号128号、房総半島半周130〜140km走行などにチャレンジしていました。

陽の上がる前から走りはじめ、暗くなってからも夜9時頃までは走れました。

夏場の走行で帰宅し体重計に乗ってみると3〜4kg減は普通でした。
飲み物の自動販売機も少なくコンビニも無い時代、通行途中の施設の水栓で体中濡らしたものです。




 春休みの3月中 房総半島の対岸の三浦半島・鎌倉を目指したときには夜間、ある畑わきの農機具小屋にて 気温が氷点下に冷え込む中、次々に集まってくる野犬に命の危険を感じ 寝袋をたたみ、逃げました。 その後 寒さしのぎも兼ね 夜中走りとおしたことなど、 いまでもいい思い出です。



高2の夏休みには国道18号から軽井沢・佐久まで片道400kmほどを往復したのが最長距離でしたが、 思い返すと我ながらすごかったなと思います。


途中、野田市の某会社の施設の軒先で眠ろうとしたら、管理人さんが部屋にあげてくれ、ふかふかの布団やお風呂を用意してくれたこと。

安中市の宿ではおかみさんに気に入られ、宿泊費をかなり値引いてくれたこと。

碓氷峠の登りでへばっていたら、助けてくれたトラックドライバー。


様々な人情との出会いが16歳の少年の心を育ててくれました。


1級上のペンパル宅でしばらく滞在、白樺湖観光などをしました。

帰りにもこんなことはありました。 熊谷市の寺の本堂わきを貸してもらい夜露をしのいで眠っていたら、住職が蚊取り線香を運んでくれたこと。



 帰りのほぼ2/3は下り道ということも有り、一日あたり200kmを超える走行もそれほど苦ではなく、(ペンパル宅までの行きは3日かかりましたが)帰宅には2日目の夕刻 早い時間に到着しました。


走りすぎで内腿はすれ、おしりも自宅湯船ではひりひりしていたのが昨日のことのようです。




 今思えば、好きなことをさせてくれたことで親に感謝しますが・・・・、

比較すると 現在の子供たちより、私たち昔の子供の方がしっかりしていたような気がします。


もっと大人びていたし、背伸びもしていました。逆にいえば生意気だったのかも!?  



大人になる、ひとり立ちできる年齢がどんどん後ろにずれている現在では、親による過干渉から「頼る子供」が多くなっているというジレンマも有ります。

「かわいい子には旅をさせろ」とは先人の言葉ですが、「苦労は買ってでもせよ」と同義語でしょうか?



昔 親は仕事に忙しく、兄弟の多い中 一人の子供だけに手をかけるなんてなかった時代だからできたのかもしれません。



今もたまにサイクリング車で走る青年を見かけますが、心の中で応援しています。

その経験から独立心と開拓精神が育つのではないでしょうか・・・?



私にとっての単独サイクリング、・・・・・・非常にいい経験でした。

honkab2 at 11:57│Comments(0)TrackBack(0)♪♪ログマスター002・ムーミン阿部のつぶやき 

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