2011年05月

2011年05月24日 世界一のサービス

 日本でのサービスは世界で有名になってきました。

「安全」や各種対人サービスでの「笑顔」と「お客様は神様です、的な対応」が当たり前な点でしょうか。

それは日本人の国民性・国民の資質として諸外国から高く評価され、この度の東日本大震災の苦難に団結し耐え、規律を守る様が世界中から評価されていました。


私は外国人に日本若しくは日本人を説明するときに「マナー」という言葉を上げます。  それが、島国でありながら1億3千万もの人口が同じ価値観を共有、織りなす文化なのです。


このただである「サービス」を当然のごとく生活している私たちですが、外国に行ったときに「どぎまぎする日本人」になってしまいます。


でもそんな日本人の国民性は諸外国から観光や滞在時に問題を起こさない世界一のマナー評価があります。



しかしこの「マナー」、昔からの「村社会」からのアウトサイダーを作らないようにしてきた「掟」の裏返しが起源なのではないでしょうか?


農耕民族の自衛習慣から?・・・・・なにはともあれ日本人が世界に誇れる文化です。




 近年航空会社サービスNo.1と評価される韓国のアシアナ航空は韓国で2番目の規模の会社ですが、アジアのハブ空港となった仁川空港を足がかりに急速に路線を拡大しています。


私も某国空港カウンターで チェックイン時間より早めに着き 並んでいると、スタッフが笑顔とともに椅子を用意してくれました。障害者でもないし、エコノミークラスの客にです。
他にも多くの客に気遣い、感心させられました。

チェックイン時間前にはスタッフ一同(20名ほど)が1列に並び私たちお客に向かって素晴らしい笑顔で朝のルーティーンのパフォーマンスをしていました。(英語・韓国語・日本語で)  5分ほどのパフォーマンスの終了時には並んでいる客から拍手・喝采が起こります。

顧客満足度No.1・・・・なるほどな!!!  と感じさせてくれました。


2050年には韓国のGDPが世界二位に・…などという予測もあります。



日本でCA(キャビンアテンダント)は昔は憧れの職業でしたが、いまやその待遇は驚くほど下がり、質の良いサービスは風前の灯火です。

ただ個々人内面にある日本人の文化、「マナー」はこの先も続いてほしいものです。


honkab2 at 10:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)♪♪ログマスター002・ムーミン阿部のつぶやき 

2011年05月20日 twitterでは叫んでいます。

 私にとって、個人情報をあからさまにしなければ友達は増えていかないSNSでは、個人情報公表の限度として一部のみしか登録しておらず、既に知っている海外の友人たちとの通信費のかからないコミニュケーション手段としての利用がほとんどです。

住所や電話番号、卒業校・職場などのデータや家族・友人の写真などを多く掲載している利用者は多くの友人(数百人)との交流を持っています。

私は少しの写真データのみを載せていますが、それを見ての旧知人からのアクセスも若干はあります。


twitterは実名である必要はなく、他の個人情報掲載の必要もないので、思ったこと・社会へ訴えたいことなど正直に 《 つぶやいて 》 います。


「つぶやき」に対しフォローする・しないは自由で あまりコメントを入れないのがtwitterじゃないかと思うのです。

twitterでの私は17人をフォローし、35人にフォローされています。

価値観に差のある人の「ツイート」はフォローするにはきついですね。HOMEには次々に上書きされていくからです。




 一方、「ブログ」については情報発信のツールとしては大きく成長しましたが、読者を意識するあまり 何か楽しくない自己満足の世界観が広がっているように思えます。


私たちのブログは「業務用ブログ」として会社のホームページから誘導し、情報を発信するのみです。(もちろんコメントはありますが管理者の許可があってはじめて掲載されます。)


各社ともブログに重きを置いていますが、私の印象は、・・・・「面白くない」です。

営業用であったり、都合の悪いことを言わない(それこそ都合のいい道具としての)ブログだからです。



アフィリエイト収入を当て込むブログはもとより趣味ブログで沢山の訪問者のあるブログでは似た価値観の、寂しさを感じている個人個人が自分の安心する場を探してのネットサーフィンと無理やりの話題つくりで苦労しているのが見えてしまいます。 自分の日記代わりならもっと違う方法もあります。


いいこと、楽しいことばかりを掲載しているブログは裏がありますね。


私?

私は正直過ぎて 損しているようです。

「仕事の対価としての正当なる利益はください。」など、お客さまにとっては「素晴らしいですよ」「安いですよ」だなんて甘い言葉は言わないからです。


ブログでも正直な人間でいたいと思います。

honkab2 at 17:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)♪♪ログマスター002・ムーミン阿部のつぶやき 

2011年05月15日 沖縄復帰39年

 「新聞は嫌いだ、(ありのままを写す)テレビカメラだけにしてくれ。」と活字メディアを追い払った佐藤栄作首相は最長の在職も誇りますが、田中角栄政権がロッキード・スキャンダルの最中にノーベル平和賞を受賞し、その受賞理由にもなった沖縄返還から もう39年とのことです。

返還2年前にパスポートを持って 沖縄を訪れ、現地の同じ高校生たちとの交歓を経験している私にとって、「返還」はそれまでの悲観的な世論もあり、予想もできないビッグニュースでした。


 最近の普天間問題でウィキリークスによって暴露され、長い年月の疑問(なぜ非核三原則にあって返還が実現できたのか?)の答(「核持ち込み密約」論が肯定されたこと)は解決しましたが 沖縄の戦後はまだ続いています。


終戦後たった14年で開いた東京オリンピックを契機に日本は高度経済成長の波にのり世界有数の繁栄を築いたのも、当時・冷戦時代に沖縄の米軍基地があったことによる恩恵とは誰しも認識しています。


1ドル=360円の固定相場時代に ドルに両替えし 異国を旅するごとくのようないい経験もしましたが、当時より25年ほど前 沢山の軍人や一般人が亡くなった多くの激戦地を訪れ、ショックを覚えました。


 占領軍司令官へのインタビューや基地内の戦略爆撃機B-52の墜落事故現場を見、現実に行われているベトナム戦争とのかかわりはまだ若かった私の心をして強く揺さぶりました。


親元を離れることは修学旅行くらいしかなく、不自由な経験さえしたことのない甘ったれ、まだ子供だった私の心は沖縄の悲しみにふれ とめどない涙を流すだけでした。


このような経験から、心の片隅にいつも沖縄があった私は「沖縄返還」のニュースにそれはもう大喜びでした。


沖縄訪問で得たペンパルたちとの手紙の中で喜び、将来について希望を話し合ったものでした。


しかし基地問題は39年を経た現在も解決していません。




 フィリピンでは1991年まで使われていたクラーク空軍基地やスービック海軍基地が ラモス大統領の時代に返還され、全ての米軍は出ていきました。(跡地は経済特区として大きな発展をしています。)


既に15年ほど前に終わっていたベトナム戦争への出撃基地という時代的背景はすでになかったのですが、宗主国の立場や歓楽街・基地従業員の雇用・経済関係で持ちつ持たれつの関係は続きました。


日本より差別的な地位協定が大きな問題となり、比国民・上院とも米軍基地存続にNOを出し、同年起ったピナツボ山噴火の影響(降灰)でクラーク基地閉鎖を契機に米軍は出ていきました。



この年、東西冷戦は終わり 中国も天安門事件(1989年)以後の市場経済移行は始まったばかりでGDPなども日本のわずか13〜14%しかありませんでした。 米国も今日の中国を予想してはいなかったようです。




話は沖縄に戻りますが、はたしてあと何年たったら沖縄の基地は無くなるのでしょう?

冬でも薄いカーディガンを羽織るだけで暮らせる原発の無い沖縄。
もともっと観光や移住が進んでもいいはずですが・・・・。

とにかく基地の町 基地の県 というイメージが災いしていると思わざるを得ません。


国際物流港湾整備やハブ空港化など経済・観光特区にして昔の琉球王国のような新たな歴史を刻んでほしいものです。あと39年後には私・・・・、   まだ100才にはなっていません。

honkab2 at 11:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)♪♪ログマスター002・ムーミン阿部のつぶやき 

2011年05月12日 十万石最中

大多喜城 寒暖の差が激しい今日この頃ですが、先日さわやかな天気のなか 終日役所(建築指導部門や農業委員会)に銀行、法務局に土地家屋調査士事務所と効率よく仕事が出来ました。
「昼時の空いた時間ももったいないから」と意欲的なこの日の私は近くの大多喜城を散策するのでした。

この地は上総武田氏が戦国時代に築城した後地に、徳川家直轄で家臣本田忠勝が新たに城を作ったと言われています。
城の主には「南総里見八犬伝」のもとになった里見氏など多くの変遷があります。

もともとここ「上総の国」は大昔から国司が置かれ、首都である大和と並ぶ大国としてありました。1200年前に市原市国分寺台に建立されていた7重の塔はそれを証明しています。

また、1000年ほど前には次官として(上総介)藤原孝標(ふじわらのたかすえ・・・娘は「更級日記」の作者)がこの地で執政し、京への帰任の道中の初めに弊社のある「市原市馬立」の地に泊ったことが更級日記の冒頭で書かれています。(「上総の介」は大変な権威呼称だったらしく、かの信長も勝手に使っていたようです。織田上総介信長

地名といえば、市原市周辺は難読地名が多く、神話や源氏由来が多く存在します。


 城の話に戻りますが、さまざまな古文書(記録)では実際にこの3層・4階の城があったか否かは諸説あります。この城は1975年に建てられたもので県立の博物館・大多喜分館になっています。


駐車場からの登り坂も鬱蒼とした木陰に堀跡などから土のにおいもしてこれからの季節の散策には ぜひお勧めです。


城下町東屋から城下町が見えます。すぐ下の大多喜高校は二の丸に建てられた111年の歴史校です。

いすみ鉄道は市原市を縦貫する小湊鉄道と並ぶ有名なローカル線です。

大多喜の市街地は古い商家の保存や街並みに城下町としての風情を残そうとする特徴のある地域です。大きな都市だと城の周辺以外は大きく変わってしまっていますが、ここ大多喜は町中がレトロです。


私の育った街は江戸期以降に宿場町から発展した街ですが、趣が大きく違います。    成田などの門前町はまた少し違います。



櫓
火の見櫓や案内標識版などが工夫されています。

町おこしとしていいですね。

町おこしでは、ドライブインなどで売っている「十万石最中」が有名です。

えっ!? 私ですか?  もちろん買いました。

あまり甘すぎない餡がいいですね。
 

「最中の月」とは、中秋の名月のこと。 満月の形をしている煎餅のような菓子のことを指していたが、後に、もち米でつくった皮の中に餡を入れたものをいうようになったとのことです。

おいしいですよ〜。(⌒-⌒)

honkab2 at 11:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)♪♪ログマスター002・ムーミン阿部のつぶやき 

2011年05月07日 外壁塗装は終了したとのことです

A F様は写真のようにミニチュア・モデルを作りながら外壁や屋根との色のバランスを検討していらっしゃいます。
寸法から家具や棚などの配置も熟慮できます。

この日ご家族総出で外壁の上塗り作業に取り掛かられました。
テーブルに見え隠れするのはF様の愛犬「coco」ちゃんです。  何やら他人事(ひとごと)いや犬事ではありません。 ちょっとメタボかな?



B弊社T社員がコツなどを伝授した後、皆様は一斉に塗り始められました。

左の写真はT社員の撮ったものですが、塗装完了後にF様が記念にと、ログをバックのご家族皆様の写真をメール添付にてお送りいただきました。
なかなかの出来栄えのようです。 全景はまたの機会に紹介いたします。




Cホンカ製ユンボ?  いえいえ、ホンカは「ユンボ」は作っていません。 「タンボ」に建てることもできますし、「トンボ」が止まる家ですが、・・・・。・・・ユンボで散歩は出来るのでしょうか?
<なんのこっちゃ!!!>
ホンカのシールを貼ったF様の「オウン・ユンボ」です。
マイ・ユンボだなんてすごいですね。


その上細かい工作まで。繊細さと大胆さを併せ持っている方です。

何という方なのでしょう!!!

この先かなりの部分についてもご自身で手を加えられる予定です。


F様、この土地を決めたのは近くに愛犬(コーギ―)cocoちゃんと同じ店名のコンビニがあったからですか?  もしかすると・・・・と、思いました。





honkab2 at 14:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)■香取市FM邸(LOKKI)が完成するまで 

2011年05月06日 新緑を見ると元気が出てきます

 今月終わりには強い紫外線により木々の緑が深くなります。
日本の今の季節はパワーが満ち溢れるようでさわやかになります。 

GWもあと数日、毎年このころになると私のお尻はそわそわしてきます。

3月の春休み前から続く航空運賃の高い期間が終了するからです。


「価格.COM」 とか「格安航空券」 をネットでシミュレーションしてしまいます。

直行便に比べかなり安い「STOP OVER」or「TRANSIT」と呼ばれている「乗り継ぎ便」で韓国「仁川空港」や台湾「桃園空港」で観光や食を楽しもうとか、もう夢は世界を駆け巡る・・・・です。


 そんな中今日のLivedoor ニュースから < 東大教授が日本語の起源は朝鮮半島から…>というのがありました。  内容を読んでいくと異論のあることも記されていましたが、 『なるほど、私の経験もそうだな・・・』と納得したのでした。


『私の経験』 というのは、かれこれ16年ほど前、単身でインドネシアのジャカルタに住む友人に会いに行った時のことです。
友人のたどたどしい日本語にほとんど話せない英語と、一方 全くインドネシア語にはチンプンカンプンの私が意思疎通とは程遠い珍交流をしたのでした。


おかげで、いつも緊張し 初めてのインドネシア料理にも慣れず、夜の睡眠も満足ではなく 経験したこともない直上から強烈にさす陽射しに体力はそがれてしまいました。(赤道直下です。それはもう昼間は動かない方が・・・・。でも私、プールに入ったり、クルーズに行ったり・・・。)

1週間後に帰国するときは直行のガルーダ便(行程9時間程度)で機内食(2回共)も食べられず、ただただ横になり寝るだけだったのです。 (機内は空いていて左右のアームバーをたためば真横になれたのです。)


そんな横になっている私の席の前2列ほどには男の一団が。
連中、話が止まりません。かなりの大きな声で成田につくまで楽しそうに会話を続けていました。

私からすればうるさくて眠れず、迷惑に感じましたが ずっと「ハングル(朝鮮語)」に聞こえていました。

ところが、まもなく着陸という時間になり 連中の会話が一段落した時、まばらに発するその声々から まぎれもない日本語が聞こえてくるのでした。



何ということでしょう!?  私がハングルと思いこんでいたのは なまりの強い「名古屋弁」でした。

イントネーションから 発せられる単語まで 疑いもなく「ハングル」と認識した私は それ以来今日まで《 音的には名古屋弁と朝鮮語はすごく似ているんだな 》とずっと思っています。 私の話す関東の言葉も似ているように聞こえる人がいるんでしょうか?



あ~ァ、旅がしたいですね・・・・・。

honkab2 at 10:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)♪♪ログマスター002・ムーミン阿部のつぶやき