2010年06月

2010年06月29日 誰でも写せるのがデジカメですが・・・

konekokoneko3 子猫たちは動き回っているので、なかなかいいポーズをとってもらえません。

こんな時、デジカメ撮影の技術の足りなさを自ら嘆きます。




koneko1koneko2ほんとはもっとかわいいのに・・・・。









koneko4

エースがやつれるはずです。

みんなおなかがポッコリ丸く太っています。




あまり泣かないのは、(泣く前に)エースが頻繁に箱に入っていくからでしょうか。

じゃれあいは日増しに活発になってきました。


外に出たくて背伸びも多くなってきたので、段ボールのふたの部分の折りしろを立てて ガムテープを張り高くしました。


手乗り猫?
手のひらに乗せられる大きさです。


エースをもらってきたのはちょうどこのくらいの大きさの頃だったと思います。



どなたか欲しい方いらっしゃいませんか?

honkab2 at 13:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)♪♪ログマスター002・ムーミン阿部のつぶやき 

2010年06月26日 エースと子供たち

ねこたち  われらは子猫である。

名前はまだない・・・。







今日の朝、フラッシュで写したところびっくりしていました。

明日はもっとかわいいところを写してきたいと思います。


授乳でやつれたエースは時折、段ボールの外で横たわっています。



家族の食事時以外にも小まめに餌を食べに下(1階)まで下りてきます。



エースも生まれてまだ1年と数ヵ月。 まだ甘えるそぶりもしますが、親になったということもあり、かなり大人びてきました。



忙しそうに小まめに2階へ、そして段ボールの中に入ります。


子猫たちは授乳時には、それぞれが頭を押しいれて競争です。


エースのいない子供たちだけの時間には最初は隅でかたまって寝ていたのですが、目が見え、動けるようになると、徐々に子供たち同士で じゃれはじめました。
段ボールの淵に立ち上がろうと、外が気になってきたようです。


そんな煩わしさを忘れたいかのようにエースは1階では家族に甘え、犬のトミカに対しても、すり寄ったり おなかを見せて 甘えます。


ちょっとアホなトミカはただただ遊ぶだけです。

トミカ
この写真は私に甘えるトミカですが、エースの気丈な面からするといやに幼く思えてしまうのです。

 * ちょっと頭はアホだけど心は純粋でかわいい犬です。

猫と犬、どちらもかわいいのですが、癒される部分というか 可愛さが違います。



犬派ですか猫派ですか?




いままでトミカとエースの写真はタイミングが悪くて撮れていませんが、近いうちに子供たちも交えた写真が写せればと思っています。




honkab2 at 17:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)♪♪ログマスター002・ムーミン阿部のつぶやき 

2010年06月25日 癒し

猫 この春先に店を閉じた近所のスーパーの店先に「子猫差し上げます」の札があったのは昨年の春でした。
 前飼っていた猫が行方不明で帰ってこないこと、縁の下からねずみが侵入し、悪さをすることなどで 出来るだけ早く猫がほしいと思っていました。

スーパーの張り札の存在を社長から聞いた私は、学校から帰ってきているであろう息子に連絡。

息子はおばあちゃんと二人で早速スーパーへ行ったのでした。

ちょうど同じ時に他の猫のもらい手のご家族と鉢合わせしたらしく、残っていた3匹の子猫のうち元気そうな一匹が目の前でもらわれていったそうです。


 息子ったら、「かわいいし、残したらかわいそうだから・・・」と きょうだい2匹で育てたいと段ボールに入れ 残った2匹とももらって帰ってきたのでした。


帰宅してからその事実(数と小ささ)にびっくり。
まだまだ小さい2匹はおしっこさえも刺激しなければ出ない小ささでした。

子猫用のミルクや離乳食で育て、痩せているが甘えん坊で気の強い白黒模様の「エース」と食欲が旺盛で体格がよく尻尾の形がきれいな黒猫「クロ」は順調に育っていきました。

エースがネズミどころかトカゲまでも捕まえて来るのには閉口してしまいますが、2匹とも抱っこが大好きで甘え上手です。

じゃれあって賑やかな、なかよし兄妹でした。


ところが・・・。



冬場のある日、クロが縁の下からいつものように散歩から帰ってきたと思って見やった瞬間、びっくりしました。

左後ろ脚と尻尾にとんでもないけがを負っていたのでした。


あまりに悲惨でここでは説明しようもないのですが・・・。


 わきの鉄道と国道・市道と周囲が危険な我が家ですが、慎重でドアが開いていても前の道路に出ないエースと比べ、やんちゃなクロはどこかで事故にあったようです。

あれほど仲良くじゃれあっていたエースも、神経質にクロに向かって毛を逆立て「そばに寄るな」と、威嚇していました。


相当の痛みにこらえて最後のあいさつに来たようです。 かわいそうにとなでてやると目を閉じ、水を替えてやると一なめ。 一声か弱くなくと、足を引きずり 縁の下に消えていき 以降戻りませんでした。


家族、特に子供たちのショックは大きかったらしく、なるべくクロのことを話さないようにしているのがわかりました。

・・・・・

・・・・・

 春になり、「最近エースも太ってきたね」「よく餌を食べるようになったね」と、話していた矢先でした。


二階の洋服ダンスの上の空き箱によく入っていたエースでしたが、3週間程前のある朝その箱から小さな息遣いが聞こえるではないですか?




まだ子供だと思っていたエースは毎日献身的な母親の姿を見せてくれています。子供のころよりさらに痩せて、それでも箱の子供たちのところに行く際には喉をゴロゴロさせ、甘い鳴き声で哺乳させています。


あまり干渉しないように、しかしもっと育児しやすいように と箱や置き場所を替えてやると素直にそこで育てています。


私の子供たちもそれを見て癒されているようです。



エースが1階に餌を食べに行った後に子猫たちの写真を撮りました。

猫とにかくかわいいです。

しかしこのまま4匹を育てるわけにはいきません。

どなたかもらっていただける方いらっしゃいますか?


エースとは全く模様の違うトラ(2匹)と白(両耳の先と尻尾がグレー:2匹)です。


エースは甘えん坊で頭のいい猫ですので、けっこう穏やかな子に育つはずです。


次回にはもっとはっきりした写真を載せたいと思います。



honkab2 at 11:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)♪♪ログマスター002・ムーミン阿部のつぶやき 

2010年06月20日 サイクリング

 部活・青春時代の話題続きです。

私の当時の宝物と云えば8段変速ドロップハンドルのサイクリング車でした。

毎日のように自転車を調整・磨き、オイルをさしては道路地図とにらめっこ。週末が好天ならば遠乗りをすることも多かった。 JCAというサイクリングの団体にも属してはいましたが、マイペースで走ることが好きな私にとってほとんどは単独走行でした。

まだ学校も土曜日は半ドン(昼まで)で、帰宅後少しでも時間があれば17〜8kmの県道(現国道297)を練習として走ったものです。

なぜ県道かと云えば、当時まだ所々で道路は舗装されておらず、近所の道路の中でも八幡宿までの区間が一番舗装率が高かったためです。


現在でも日中 車で25分ほどかかるその距離を30分を目標に走ったものです。

もちろん山倉の登り坂でもトップギアのまま登るという体力でしたが・・・。



 そして日曜には日帰りで国道16号や127号128号、房総半島半周130〜140km走行などにチャレンジしていました。

陽の上がる前から走りはじめ、暗くなってからも夜9時頃までは走れました。

夏場の走行で帰宅し体重計に乗ってみると3〜4kg減は普通でした。
飲み物の自動販売機も少なくコンビニも無い時代、通行途中の施設の水栓で体中濡らしたものです。




 春休みの3月中 房総半島の対岸の三浦半島・鎌倉を目指したときには夜間、ある畑わきの農機具小屋にて 気温が氷点下に冷え込む中、次々に集まってくる野犬に命の危険を感じ 寝袋をたたみ、逃げました。 その後 寒さしのぎも兼ね 夜中走りとおしたことなど、 いまでもいい思い出です。



高2の夏休みには国道18号から軽井沢・佐久まで片道400kmほどを往復したのが最長距離でしたが、 思い返すと我ながらすごかったなと思います。


途中、野田市の某会社の施設の軒先で眠ろうとしたら、管理人さんが部屋にあげてくれ、ふかふかの布団やお風呂を用意してくれたこと。

安中市の宿ではおかみさんに気に入られ、宿泊費をかなり値引いてくれたこと。

碓氷峠の登りでへばっていたら、助けてくれたトラックドライバー。


様々な人情との出会いが16歳の少年の心を育ててくれました。


1級上のペンパル宅でしばらく滞在、白樺湖観光などをしました。

帰りにもこんなことはありました。 熊谷市の寺の本堂わきを貸してもらい夜露をしのいで眠っていたら、住職が蚊取り線香を運んでくれたこと。



 帰りのほぼ2/3は下り道ということも有り、一日あたり200kmを超える走行もそれほど苦ではなく、(ペンパル宅までの行きは3日かかりましたが)帰宅には2日目の夕刻 早い時間に到着しました。


走りすぎで内腿はすれ、おしりも自宅湯船ではひりひりしていたのが昨日のことのようです。




 今思えば、好きなことをさせてくれたことで親に感謝しますが・・・・、

比較すると 現在の子供たちより、私たち昔の子供の方がしっかりしていたような気がします。


もっと大人びていたし、背伸びもしていました。逆にいえば生意気だったのかも!?  



大人になる、ひとり立ちできる年齢がどんどん後ろにずれている現在では、親による過干渉から「頼る子供」が多くなっているというジレンマも有ります。

「かわいい子には旅をさせろ」とは先人の言葉ですが、「苦労は買ってでもせよ」と同義語でしょうか?



昔 親は仕事に忙しく、兄弟の多い中 一人の子供だけに手をかけるなんてなかった時代だからできたのかもしれません。



今もたまにサイクリング車で走る青年を見かけますが、心の中で応援しています。

その経験から独立心と開拓精神が育つのではないでしょうか・・・?



私にとっての単独サイクリング、・・・・・・非常にいい経験でした。

honkab2 at 11:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)♪♪ログマスター002・ムーミン阿部のつぶやき 

2010年06月19日 沖縄では梅雨が明けたようです

 あれは40年前、高校生時代の部活関連でひょんな事に復帰前の沖縄訪問使節団に選ばれました。

東京駅から西鹿児島行きの急行で24時間程度、そこから連絡船で那覇市の港に着きました。
途中、大阪駅で富山県からのAさん香川県からのBさん、鳥取県からのC君と待ち合わせ高知のD先生に引率されるという5名の道中でした。

皆、優秀な高校生でC君などは京大現役合格するほどでした。
私は関東代表ということもあり、東京の某省の担当官から使節団の費用を預かり、会計係ということになりました。



鈍行(各駅停車)に近いような急行のボックス席(全席自由席)だった為 二人の女子の為に席を譲り、床に寝る長い列車の旅でした。

帰りにはブルートレイン(寝台特急)であったので快適で早かったのですが、行きは汽車の苦労だけでなく、西鹿児島からの連絡船も 当日が最後の航海という「琉球丸」というボロ船で、荒れ気味の外洋では木の葉のように揺れていました。(帰りは「乙姫丸」という新型船でかなりましな船旅になりました。)



船と云えば東京湾を渡るフェリーでさえも気分が悪くなる私にとって琉球丸での船酔いは半端ではありませんでした。

到着予定の20時間をはるかに超えて26時間、そのうち何時間もトイレから出てこれませんでした。 私はその程度でしたが、C君はもっと激しい船酔い状態でした。 死ぬ一歩手前とでもいいましょうか・・・・・。




 船では日本円は使えなくて、東京からもたされた米ドルで乗船券他支払をしました。 船室には1〜3等があり、もちろん学生の私たちは3等の船底・大部屋で一人当たり畳半分程度のスペースしかありません。


慣れている人々でも大なり小なり船酔いがあるので、とにかくすることはごろ寝、少しでもいい待遇を受けられるよう、D先生が船室担当にあげたチップは10ドル 当時1ドルは360円で固定され、平均の給与が10万円台に乗ったばかりの世相です。 急に待遇は良くなったものの、D先生 価値が分からず「ふんぱつしすぎたな・・・。」とは後の祭りでした。


航空機での海外旅行は一般的でなく、まして持ち出しできる日本円も10万円(昭和46年まで)までとかいう時代でした。 


家を出て4日目に沖縄に到着したわけですが、当時の沖縄は米軍統括下にあり、どこに行っても米兵・軍施設ばかりでした。





沖縄の高校生たちとの親睦が目的ではあったのですが、姫ゆりの塔・健児の塔やビーチなどの観光やソウキそば、海蛇料理など、畑でのサトウキビかぶりつきなども経験しました。


前年のB52戦略爆撃機の墜落事故での残骸の残る米軍基地ではカメラを向けるなという注意も有り、占領されているという現実は緊迫感をも感じるものでした。


 * この年の秋佐藤首相が渡米、ニクソンとの間で3年後の返還を約束してきました。

おりしも日本はこの年GNP(国民総生産)で世界第二位に躍り出た年です。
今年GDP(国内総生産)で中国に抜かれ3位になるそうです。 (40年間もの間2位を保っていたんですね・・。)



3カ月間のみ有効の白い(カバーコートの無い)パスポートで渡航前には何種類かの予防接種が義務付けられていました。



琉球切手や1ドル硬貨(銀貨なので流通していない)で作った指輪など多くの思い出は押し入れの中で40年もの眠りについていますが、私の青春のアイデンティティーともいえるそれらの物を押し入れから引っ張り出そうかと昨今考えています。



娘や息子に見られたら恥ずかしいような手紙や思い出も有りそうです・・・。






その前に変な?DVDやVTRテープの始末をしないと…!!!!




沖縄の梅雨明けでここまで考えてしまいました。

honkab2 at 17:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)♪♪ログマスター002・ムーミン阿部のつぶやき 

2010年06月16日 ぶれ


『次々に 文落ち していくんだよ!』

 * 「文落ち」・・・・・理系が志望だったが科目の多さや受験に必要な科目が苦手で、理系への進学をあきらめることを指すらしい・・・。


さりげなく娘の口からそんな言葉が出てきました。
入学当初より進路指導の先生から、先ず国公立かつ理系選択を勧められていたことも有り、保護者も含めクラス編成時に理系選択という決断が多かったようです。


『では、君はどうなの?』と 質問を振ると「変わりません!!」ときっぱり。

初志を貫徹しようと、目標がぶれないことに 《 ガンコだな・・! 》なんて感じていますが、もう中学生時代に目標(職業)は決めていたようでした。


私の青春時代には私自身も含め多くが、途中何回かの進学シーンはおろか卒業間近まで何になりたいのかが分からない、卒業しなければならないので・・・、就職先も何となく〜そうだから・・・、就職試験受かったから・・・、など 非積極的動機で社会人になりました。


比べると、何という素晴らしい娘に・・・。

目標にはまだかなり遠い道のりですが、ぶれの無い目標設定は大きな力になるはずです。結果は如何にあろうと、がんばれるのは今しかないのだから。

その経験は間違いなく娘の財産になるはずです。


 先に紹介した友人のS君の一人娘は音楽の道で国内最高難関の芸大に進み、コンクールで日本一に。 そしていまや〇〇オーケストラの一員に・・・。
音楽の才能が十分でもそれなりの収入を得る人は一握りです。

投資(教育)費用対効果はあり得ないほど少ない世界なのです。
Sに言いました。「トンビが鷹・・・だな」


S君の家計ほどではないけれど、我が家も教育には費用がかかります。
管さん、どうにかしてください。


諸外国では才能には国費が、勉強をしたいという学生には無償奨学金がつきます。

「ばらまき」と言われないよう、ぶれない政策で目的をはっきりさせる税金の使い道をお願いいたします。

honkab2 at 10:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)♪♪ログマスター002・ムーミン阿部のつぶやき 

2010年06月14日 「差別するな」と主張する逆差別

 先に載せた「差別」≠「区別」についてもう少し・・・・。

職業女性万能思想の女性からすれば育児・家事などで代表される「専業主婦」の存在は蔑視されます。
これはこれで逆差別ではないかと思うのです。
「専業主婦は一種の奴隷だ」と言わんがばかりの主張は、多様な価値観のあることさえをも否定する意見です。


また、学校教育のなかで「男らしさ」「女らしさ」を教えることを否定し、あらゆることを男女差別だといい続け、教育内容を変えていこうとする流れは学校教育からすれば本末転倒でありましょう。

学校教育は社会の仕組みや秩序を教えることが基本であり、既存の制度を否定する考えを強いることは反社会人間を作ろうとしているにすぎないのです。

男女とは互いに認め合い互いを尊重しながら、それぞれを補い合うことにより「男性らしさ」また「女性らしさ」が作られます。



昨年私の二女の中学の卒業式で5クラス中、3年1組でイニシャルがAの娘はいの一番に名前を呼ばれ壇上で卒業証書を受け取っていました。


バラバラな男女混合、あいうえお順だったからです。
なにかしっくりきませんでした。
男女順や生年月日順ではまた差別だからというのでしょうか?

言葉の定義をしますと、

差別・・・・扱いに差を付けること

区別・・・・違いによりわけること


少子化や遊びの変化から現在の子供たちは家庭・社会から自ら学ぶことが少なくなってきました。情報は昔とは比較できないくらい氾濫しているのにです。


画一的な価値観で 区別=差別 というような教育からは守りたいものです。

区別はあって結構。 逆に無ければいじめの原因になってしまいます。

区別により魅力的な個性も育つのです。

honkab2 at 17:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)♪♪ログマスター002・ムーミン阿部のつぶやき 

2010年06月13日 みなさーん、寝不足にご注意を!!

 今、サッカーのワールドカップが始まったばかりで、ニュースではかなりの時間をこの世界最大のイベントに割いています。

他の多くのスポーツへの関心の方がが強かろうが、如何に日本代表チームへの期待が低かろうが、やはり応援したくなりますし、世界でいえば オリンピックをはるかに上まる人気・感心は誰しも知っている通りです。
新しいスター選手は出てくるのでしょうか?


時は昭和61年(1986年) 思い返せばバブル景気の真っただ中、誰しも土地神話(どんどん値上がりするという)に踊っていた時代です。

東京の地価総額でアメリカ全土を買えるなどといわれて、中東のオイルマネーをジャパンマネーが凌駕し、海外の有名なビルやホテル・芸術作品が次々と日本資本によって買いあさられていた時代でした。


このころの会社では必要経費で接待や福利厚生費など領収書があればなんでも経費で落とせる時代でした。


繁華街の居酒屋などでは週末、空いている席を見つけるのも大変でした。
朝までハシゴ酒、今では考えられない飲酒運転などにもまだまだ甘い世相でもありました。 


 日本ではメキシコオリンピックの銅メダル獲得以降長い低迷の時代、全くサッカーへの脚光が当たらず、ワールドカップ出場は夢であり 誰の関心も無かった時代です。

私もサッカーのルールさえ良く知りませんでした。

そんなある晩、深夜放送(始まったばかりの衛星中継放送)で何気なく映っていたサッカーの試合(WC順々決勝)がこの年の優勝チーム、アルゼンチン(対イングランド)でした。確かキー局では取り上げもされず、東京12チャンネル(現「テレビ東京」)だったかと思います。

サッカーについて興味さえ無かった私は 夜中に偶然点けたテレビの画面の中の一人の選手にくぎ付けになりました。


それがマラドーナでした。

何というスピードとボールコントロール。

他の選手が止まっているように見えました。


その試合は2ゴールのマラドーナの活躍で2-1でアルゼンチンが勝ち、この試合のゴッドハンド(神の手ゴール)と5人抜きゴールは今では伝説になっています。

それはもう天才でした。



そしてこの後アルゼンチンは準決勝のベルギーをやはりマラドーナの2つのゴールで(2-0)勝ち、決勝では西ドイツの徹底したマークの中ゴールはなかったもののドリブル・アシストと見せてくれた(3-2)。

【それぞれの試合も(朝方の記憶)それ以後興奮で眠れず、翌日の仕事に響きました。】


MVPも獲得し、「マラードーナの為の大会」と言われているが、小さいが体が強くてタックルにも転ばない、こんなすごい選手以降見たことがありません。

20世紀No.2の選手(No.1はペレ)との評価はその通りだと思います。


今回のワールドカップに彼が監督として帰ってきました。
スポーツの世界では「名選手必ずしも名監督にあらず」といいますが・・・・。どういう結果になるでしょう?


おりしもこの年(1986年)の1次リーグでアルゼンチンは隣国韓国と同組で対戦しており、スコアは3-1でした。(韓国は1引き分け2敗、勝ち点1で予選敗退)

今回も同一予選組です。 

しかし、
12日 FIFAランキング47位の韓国は13位のギリシャを2-0で破りました。

アルゼンチンもナイジェリアに勝ち(順当?)、面白くなりました。


日本のE組より面白そうです。 


くれぐれも睡眠不足の事故には気を付けてください。


honkab2 at 11:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)♪♪ログマスター002・ムーミン阿部のつぶやき 

2010年06月11日 50才時未婚率

 先の子供手当の項で男性が余るといいましたが、厚生労働省の統計では50才時の未婚率は男15.4%に対して女6.8%とのことです。昔はと言えば30年前(1980年)ではそれぞれ2.6%と4.5%です。


女性はこの30年間での未婚率は倍までは増えていませんが 男性の場合、6倍もの増加なのです。
それが晩婚化で独身が多いイメージと重なると周りじゅうそこここに独身男性がいるように思えるのではないでしょうか?


原因には時代背景の中でも特に流行のように言われている、男性の『草食化』があるのではないかと思います。

資料によると日本人の、特に男性が各世代にわたって < 異性と交際経験が無い >と答えています。


団塊の世代のすぐあと、高度成長時代の何でもありの また社会道徳も成熟していなかった時代に、いい加減な(しかし悪いことはしませんでした)青春時代を送った私から見ると、異性との交際経験が無いなどは考えられないのですが、バブル以降に適齢期を迎えた世代では なにか社会規範・価値観が変わってしまったようです。

(当時、繁華街や駅前でのガールハントなんて日常茶飯事。 メルアドを聞く、TEL番号を聞くから始まる現在と違い、その日のうちに結果を出さなければならない真剣さはありました。先に記したSや中野のKやNなどはいい仲間でした。)


時代背景では少子化で母親以外に家族に女性がいないとか、男女同権・ゆとり教育による「差別禁止」論的社会風評があると思います。兄妹が多ければ何事も競争(ケンカ)ですし、異性の兄妹から基本的な「異性」を理解できたのです。


また女性が主張できる時代になったことや男性の経験不足も男性の草食化に拍車をかけています。


未婚の人だけでなく、さらに離婚率の増加が高齢社会の影の部分を増やします。。
いまや30%台後半もの離婚率は老後の男女の力関係を劇的に覆す社会問題でもあります。
核家族化といわれて久しく、世代間・夫婦間の絆も風前の灯火のようです。

独居老人や孤独死のひとつの遠因でもあります。


それにしても100のうち一回も結婚経験のない男性が15人強もいるなんて・・・。

honkab2 at 15:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)♪♪ログマスター002・ムーミン阿部のつぶやき 

2010年06月10日 子供手当について

 思想(特に宗教・主義・主張)に中立が求められる職業の私ではありますが、ちょっと一言・・・。

 管政権になり、民主党の政策の路線変更の予想されるところでもあります。


 なるほど管さんが以前から言っている、政治という権力で「最小不幸」の社会というのは目指せるが「最大幸福」は個々人の心の価値観で異なるもので、権力によって決めつけることが出来るものではないというのはわかります。

しかし・・・・、人間、不幸であることを不幸だと主張して生きている人ばかりではありません。  それよりも 「更に幸福になりたい」「現在の状態が続くように」と不幸を忘れる能力の方が勝っているようです。

*赤ちゃんのときにはおなかがすいたことや親を探す不安をして、大声で泣くという反応をし、それは赤ちゃんにとっては最大の悲しみですが、成長の過程では忘れ去るようになっているのだそうです。そうでなかったら悲しみや不安の数からすれば気持のいい幸せ感よりもずっと多く強いはずだから・・・。
(逆にいえば、悲しみや不幸は引きずらず、楽しかったことをいつまでも忘れられないのがギャンブル依存症になる・・・という人もいます。)


 子供手当や高校授業料無料化などでは恩恵を受けない多数派の「必要が無い」「財源が無いから」などのアンケート結果はありますが、それではどうすればいいのかと問うと、待機児童対策とか年金問題とかやはり自分の置かれている状況への予算配分を望むだけです。


少子化や子供を持つ世帯への生活補助費という意味合いで始まった、目に見え、また 家計の計算のできる政策のひとつではあると思います。

そして子供の数を増やすことが日本の将来をつくることなら、思い切って子育て期間で家一軒建てられるくらいの給付(減税・控除や補助は心理的に物足りないので)が必要だと思います。
その為の消費税UPなら納得します。


現在、自然発生率は男の赤ちゃん105人に対して女の子は100人です。

そのままの比でも20人に一人は相手がいない計算なのですが、昨今では結婚などでのパートナーを必要としない女性の増加により、相手を見つけることのできない男性は非常に多くなっています。

晩婚や未婚化など、男性が結婚や家庭を持ちたいと望んでもままならない時代になってきてしまったのです。

女性が《結婚したい》《家庭を持ちたい》と望む社会こそ少子化・年金問題等将来の為に現在の日本が目指さなければならないのでは?

出生率2.0%以上つまり人口維持=税収維持・年金制度等の社会保障費維持が求められます。

それには、
中国の一人っ子政策にたいして二人っ子政策。
二人目が生まれてから・・・・

子育て(教育)期間通算22年 × 2人 × 3万円/月・・・合計1584万円


月々6万円なら住宅ローンを組む家庭でもかなりの生活の後押しになります。

子供が増えることによる経済効果こそ日本を救うと思います。


「子供手当」ではなく「二人っ子政策手当」。


こんなことを考えてみました。

えッ?


まずは女性が結婚したくなるような男性になってもらうことが先決ですって?


三高に「家つき・カーつき・ババア抜き」は昔でしたが・・・・。

いまではもっと条件がきびしい?


honkab2 at 12:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)♪♪ログマスター002・ムーミン阿部のつぶやき